大河内小学校 宿泊学習2日目

 宿泊学習2日目は山歩きの時間です。

例年は林内の散策路を歩いて自然観察をしていますが,今年は新たな試みとして,演習林の一隅に残る銅山跡地の訪問を企画しました。

宮崎演習林の大先輩Yさん
大河内小の卒業生で子供たちにとっても大先輩
宮崎演習林の技術職員・班長として長年勤められ,少し前に引退したYさんに特別講師としてご参加いただきました。


演習林の広野地区は,現在,研究・教育活動が特に活発に行われている場所です。かつてはその一角で銅の採掘が行われ,明治期から終戦後しばらくまで断続的に稼働していたそうです。

広野へ続く大藪林道
鉱石を精錬した後の残滓(鉱滓)
付近の沢で時々見つかります


目的地へ至る歩道は,いつもの散策路よりも狭く,ちょっとした崖の上というような場所もあり,あまり歩きやすい道ではありません。1年生もいるけれど,みんなこの道を歩けるのだろうか?という不安はありました。


最終的に,できる限りの歩道整備をしたうえで,怖くて歩けない子たちは引き返して川遊び,危険そうなポイントでは職員が歩道の下に入って両手を広げて微笑んで待機,という対策で臨みましたが,

最後は多少疲れていたけど,別に怖くはなかったそうです

結果的に皆ごく淡々と歩いていました。良かったです。一方,先生方からは結構怖かったという感想をいただきましたが,まあ良かったことにしました。


30分ほど歩くと目的地に到着します。

この銅山の情報はあまり残されていませんが,最盛期には周辺に数百の人が集落を形成し,銅を運び出すきんま(木のそり。馬や人力で引く)道やトロッコ道(動力はやっぱり馬)が整備されていました。大河内の人々とも交流があったそうです。

森の中に残る立派な石垣
焼酎の甕やガラス器,瀬戸物などの破片が散らばる

建造物は廃坑時に撤去されたようで,今では所々に石垣が残り,地ならしされたような平らな土地,かつての道の痕跡,それから古い食器の破片が見つかるくらいです。

という話をYさんから教わります
Yさんが生まれるよりも前の話ですが,演習林に勤め始めたころに
当時の先輩方から現場で色々と教わったそうです

最後に,当時の坑道を覗いてみます。
きれいに整えられています
発破と手掘りで掘られたそう

無事に事務所に帰ってきました。
これから学校に戻って地域の伝統・臼太鼓の練習だそうです
忙しいね


銅山跡地は私たち演習林職員にとっても印象深い場所ですが,でもまず地域の子供たちが見ておいた方が良い気がしていました。今回無事に訪問でき,また同じく大河内出身のYさんからお話を聞けたことは本当に素晴らしいことでした。

来年はどこに行くかわかりませんが,楽しみにしています。

2022.7.24 市橋