市房山の頂が雪化粧を纏いました。
あかぎ通信
あかぎ通信は九州大学宮崎演習林の職員が,日々演習林での仕事の様子や出来事などを公開するページです. あかぎとは,宮崎演習林内に多く生息するヒメシャラと言う樹木の方言です. みなさまのご来演をお待ちしています.
2024年度公開講座「椎葉の奥座敷 紅葉の大藪銅山散策と椎葉産業史」
今日から11月、宮崎演習林周辺もようやく秋めいてきました。
先日、椎葉村観光協会さんとの共催で、公開講座「椎葉の奥座敷 紅葉の大藪銅山散策と椎葉産業史」を実施しました。
今年は何だか微妙な天気予報でしたが、2日間とも雲はあれども雨に降られることはありませんでした。
1日目は、宮崎演習林事務所に集合した後、まずは講義室で座学でした。
演習林とはどんなところか簡単な説明を聴き、事務所周辺を含む椎葉村大河内地区での樹木の利用について学びました。
皆さま熱心に耳を傾けてくださってます |
強度の高さから柱として利用される樹木や、加工のしやすさから天井板に利用される樹木、はたまた、その腐りやすさから棺桶として利用される樹木など、昔の人々は樹木の性質によってその用途を分けていたようです。
(参加者の皆さま、これらの樹木の名前、覚えているでしょうか?)
座学の後は、演習林事務所の資料館を見学し、外に出てガイドの方と一緒に大河内地区の歴史を学びながら事務所周辺を散策しました。
標本や模型を見学 |
大河内地区の庄屋跡地を見たり |
大河内神社の境内で神楽についてお話を聴いたり |
ヤマビルと闘いながらケヤキの巨木を観察したり |
大河内地区の歴史を学ぶ上では欠かせない 旧椎葉徳蔵邸跡地を見学したり |
昔の出来事に思いをはせながら、1日目は終了・解散しました。
2日目は、朝から、演習林内に残っている大藪銅山跡地を目指して森林散策でした。
各々しっかり準備運動をして、いざ、出発! |
道中では、近年宮崎演習林でも広がりつつあるカシノナガキクイムシによるナラ枯れ被害や、シカによる下層植生の食害が原因で引き起こされる土壌の流出について、じっくりお話しを聴きました。
カシノナガキクイムシが入ってこないように ぐるぐる巻きにして保護しているミズナラ |
土壌の流出によってできた土柱を観察 |
モミの巨木。その樹皮と葉を観察 (何に使われるか、覚えていますか?) |
シラキがカラフルに色づいていました |
アセビだらけの歩道を抜けて |
到着! |
帰りはスギの人工林の横を通りました |
滝の前で記念撮影 |
お疲れさまでした! |
実習に参加するときの服装
今回は、実習に参加する際に推奨する服装について紹介します。
まず基本的には長袖長ズボンをお勧めします。野外では虫にさされることが多いです。トゲのある植物やかぶれる植物もいます。基本的に肌を出さないことは野外での鉄則です。(と言いつつ、宮崎演習林は比較的虫が少ないので、私は半袖でいることもよくありますが、、)
次に大切なのは、長めの靴下です。よくくるぶしまでの丈の短いスニーカーソックスをはいてくる人がいますが、それはおすすめしません。なぜなら、靴下と長ズボンの間に隙間が出来てしますので、そこを虫に刺されたり、土がズボンや靴の中に入ってきたりします。長めのソックスであれば、もしヒルが多い場所や斜面で土が靴に入りやすい環境では、靴下に長ズボンをインすることもできます!
靴ですが、高価な山靴である必要はありませんが、底にギザギザのついていないスニーカーなどはとても滑りやすくて危険です。長靴は調査に向いていますが、山登りには不適です。そして、雨でも実習は行いますので、靴が濡れたりドロドロになる可能性があります。靴を持って来ていない場合、そのドロドロの靴で帰ることになります。私は出張で調査に行く際には折り畳み可能な長靴をよく持参します。人によってベストは異なりますが、滑ったり濡れたりするのが嫌な人は、山靴や長靴を持ってくることをお勧めします。
あと、意外にリュックサックを持って来ない人がいますが、必ずリュックサックは持って来てください。お弁当や調査道具などを入れる必要があります。そして、両手はあけておかないと、斜面などでは危険な場合があります。100円ショップで売っているような簡単なナップサックで良いので、必ず持って来てください。(※そして天候によって、リュックもドロドロになる可能性があります。。)
また、コンビニなどで売っているような軍手も持ってきた方が良いと思います。必ずしも必要ではないので特にアナウンスされることはないことも多いですが、森を歩くときに地面に手をついたり木をつかんだりすることがあります。その際、素手で触るのが嫌な人は、軍手を持って来ておいた方が良いです。
最近は安いお店もたくさんありますので、そのようなお店を有効活用しながら、万全の体制でお越しください!何か不明なことや心配なことなどあれば、いつでも実習担当教員に聞いてみてください。
Katayama
椎葉村大河内地区の作物体系
椎葉村大河内地区では焼畑を「ヤボ」,火入れしない普通の畑を「ジョウバタ」と呼称していました。下の表は年間を通じた大河内地区の作物体系を示しています。主食であるヒエが最も重要な作物でしたので,新たに「木おろし」(畑にする森の木々の伐採の意味)を行います。伐採した森に火を放ち(火入れと呼称します)林地に樹木の灰を肥料として残します。火入れ1,2年目は最も肥沃な土壌になりますので,ヤボには主食であるヒエを主に作りました。次に少し土壌の養分が少なくなってきたヤボには小豆や大豆といった多少痩せた土地でも成長できる作物を栽培しました。土壌の養分の変化に伴い栽培植物の種類をきめ細やかに把握していた事がわかります。
大河内地区の作物体系.作付面積により棒グラフの幅を大(0.5ha 以上),中(0.1~0.5ha),小(0.1ha以下)に区分し,作付頻度の高い作物を黒色,中程度を灰色,低い作物を白色で示す.
椎葉村大河内地区の焼畑の歴史
宮崎県椎葉村では古くから焼畑農業が行われてきました。焼畑農業は世界中で長年行われている農業形態で,日本でも山間地においてかつては普通に行われていました。
宮崎演習林が所在する椎葉村大河内地区でも長年にわたり斜面に火を放ち,樹木や草の炭を肥料とする焼畑農業が行われてきました。しかし戦後になって現金で食料が購入できるようになってからは,ほとんど行われなくなっています。宮崎演習林がある大河内地区の焼畑従事者に伺ったお話をもとに大河内地区焼畑について紹介ます。
焼畑は椎葉村においてかつて生活の基盤であり,九州大学宮崎演習林が所在する大河内地区では 1970-1975年 頃まで広く行われていました。焼畑には火入れの時期に応じて「春ヤボ」と「夏ヤボ」の二通りがあり,大河内集落では春ヤボ
を行うことが多かったそうです。ちなみに「ヤボ」は焼畑を意味します。春ヤボでは一般に当年にヒエを生産し,翌年からはアワやアズキなどを 2-3年作りました。夏ヤボ では当年にソバを作り, 2年目にヒエ,アワ, 3年目にはアズキやダイスを作りました。春ヤボは集落から離れた比較的古い林地の斜面に作られることが多かった。そうです。その理由としては主食であるヒエを生産するための肥料として焼畑で得られる木灰が多く残ることが理由です。これに対して夏ヤボは多くの場合,若い林地に開設されました。明治から昭和初
期にかけては春ヤボの場合は約 15-20年,夏ヤボの場合は 7,8年の休閑期間の後に再び焼畑が行われていましたが, 1940年 頃から積極的に焼畑にスギを植林するようになり,次第にスギの造林地に転換されていきました。